抜毛症

お風呂上がりにドライヤーをして、髪を梳かしたとき、頭頂部がちらちら光った。またか、と思った。

 

抜毛症。始まりを覚えていないが、高校生のときから、頭頂部の髪の毛を抜いている。気づけば手が頭頂部にあって、人差し指と親指で髪を一本ずつ挟んで、すーっと撫でるように滑らす。手触りの良くないガタガタした髪の毛をぷつっと抜いてしまう。痛みは全く感じず、むしろ快感を感じる。抜いたその瞬間だけ、解放されたような気持ちになる。でもすぐに自分がしたことの気持ち悪さと、意志の弱さに腹が立つ。抜毛症は、癖ではなく精神疾患のひとつらしいということを、就職してから知った。

 

ふつうの人はこんなことしない。

 

わたしは症状が軽い方で、頭頂部に何もないというわけではなく、ちょっと薄いかな? というくらいなのだが、高校生からかれこれ8年間この状態が続いている。抜いてしまっては後悔して、また抜いてしまう。新卒一年目のプログラミング研修のときはわけがわからなさすぎて頻繁に抜いていた。在宅勤務だと歯止めが効かない。

 

手遅れになる前に早く治したい。

精神疾患なので、その原因の除去が完治には欠かせないだろう。わたしの原因は仕事で、原因の除去なんて簡単にできやしない。となるとやはり、必要なのは「治す!もう絶対に抜かない!」という強い意志なのだろう。意志なんかどこにもない。ところてんみたいにぷるぷるよわよわなわたしの意志。今年中には治したいなと思いつつ、また人差し指が髪を撫でている。

20211108

去年のブログ記事を見たら、毎日泣いていた 去年のツイートを遡ったら、上司が毎日23時まで仕事してて、辛くないのかなって呟いていた

最後のブログ記事から1年経った わたしは今毎日23時まで働いている わたしの上司は日付が超えるまで働いている 先輩社員や上司が何人か辞めた

最近は泣いていない 泣くよりも腹が立つことが多くなった 哀より怒に振り切れるようになった 強くなったと言っていいのかわからないけど

休日は楽しい 夜、眠れない日はあれど仕事のことを考えて泣く日はない 朝、仕事が嫌だなあくらいで済むようになった 電車に乗っても動悸はしなくなった

平日に彼氏の家に行くことはほとんどなくなった 金曜夜は会えないことも多い

彼氏の予定もあって、わたしだけが暇な日が多くなった ひとりだなと実感する わたしはひとりだ 気楽で寂しい なんとなくずっと寂しい 

 

 

もう良くない?

ずっと大丈夫になりたいし、二十歳過ぎてからは一人で生きる、をテーマにして生きてるけど自分でも気がつかないような小さなことにいつの間にかいちいち躓いてる。気分が落ちるとこまで落ちても原因がわからない、寝ても覚めても泣いている。こんなこと書きたくないよ本当は、楽しいことばかりの毎日に生きていたいけれど、何が楽しいか分からなくなって、音楽も聴かなくなって、外に出ることもない。

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アイルランドのブレイで、グレイストーンに行くまでに見た空の色、小さな町、果てのない海。もうよくない?て思った。綺麗に生きられなかった自分を許しても、嘘ばかりつく醜い自分を受け入れても、結果なにも変わりはしないけど、もう、良いでしょう。

 

TwitterInstagram、伝えたい人なんて一人なのに、一人のために不特定多数に向けて発信してるのが虚しくてさみしい。し、承認欲求ばかり大きくなるくせして、なにも成長しない自分に苛立っている。

揺らして

 日々、電車に乗っているときも、バイトで接客をしているときも、誰かとすれ違う時も、わたしは本当にきれいな顔に生まれたかったと思うが、それはもう叶わないと気づいているから、せめて身体だけはきれいであろうと、自分のきれいに基づいて肋骨の筋がきちんと目で確認できるほど、キャミソール姿になった時に砂時計のように線がひけるほど、見えない部分の肌の白さや、何気なしに投げ出した脚の線を、手に入れたいともがいている。それらすべてはわたしのためで、わたしが満足するように、さみしくなっても自分をきらいになれないように、他人から惨めに思われないように、とにかくたくさんの言い訳を、自信とは一番遠いところにおいている。

 どうしても惨めで泣いてしまう夜があるが、そんなことは誰にも言えず、世の中にいるもっとつらい誰かを考えてそんな何にもならない慰めで、大嫌いな朝を待つ。

 顔についての悩みを言うと、そんなことを考えなくても済む社会にしましょうと誰かが言うが、たくさんの人間が暮らしていく限りは無理で、ずっと考えてしまうと思う。評価するのは男、評価されるのは女、そんな簡単な話ではなくわたしも道行く誰かの顔面を見て羨望も嫉妬も嘲笑もする、他人の顔に執着しても自分が変わるわけではない、そんなことはわかっているけど。全員均一に作られたのっぺらぼうみたいになったら、もうこんな苦しい思いをしないで済むのかもしれない。

 今年を振り返って、まあ二進も三進もいかないこともあって、人生で初めてできた彼氏と別れて、別の人を好きになってうまくいかなくって今でも泣いて、これだけはと思って守っていたものをあっさりと捨てて、これから先に起こることにおびえて、自分の不出来さに絶望した、そんな年だった。誰かに認められることもあったけど、結局自分を愛すためには愛されたい人に愛されないとだめだということを学んで、snsに投稿をしなくなって、意味のない飲み会に行かなくなった。恋愛に振り回される人生が一番ダサいって彼氏と別れるときに思って、一人で地に足をつけて生きようとしたのにできなかった。夜はスマホを枕元において眠って、好きな人からのメッセージに一喜一憂した。

 年齢を重ねるほどに年が新しくなるのが嫌になっている。早く楽になりたい、それだけ考えて生きている。22になっても一人で自分の情緒をコントロールできなくって悲しい。中学生のころは早く大人になりたいと思っていたけど、大人になれば生きやすくなると期待していたけど、今のわたしは中学のころ思い描いていた大人とはかけ離れたところにいるし、何も変わらずずうっと苦しいし、うまく生きられない。それでも生きているのはこの先に期待しているからで、勇気も目的もなくて死ねないからで、本当に不謹慎な話、自分からではなく、運悪く事故に巻き込まれて、ぽっくりと死ねないものかと思っている。

 未来と芸術展で、友人や家族に看取ってもらえない人がAIに優しく声を掛けられつつ死んでゆく映像を見て、すごく良い未来だなと思った。わたしも誰にもそばにいなくていいから、AIに腕をさすられて、「お疲れさまでした、おやすみなさい」って言われて、それで人生を終わりにしたい。誰かの時間を奪うほどわたしの人生に魅力はないし、そもそも時間を削ってくれるような人間関係を構築できる自信もない。でも感情のないロボットが、仕事として看取ってくれるならさみしくもないし、安心して幕を下ろすことができるんじゃないかって思う。馬鹿みたいだと笑うかもしれないけど。

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大学生活の振り返り

1年 記憶がほとんどない。人生初の彼氏、一人暮らし、部活。人の名前と顔を覚えられなくて生活に苦労する。友達もできない。入ったセクションの同期が辞め、一人になる。アルバイトは和風レストラン。楽しかったけどバイトに行きたくなさ過ぎて泣く。行けば褒められるしおしゃべりもできるし、楽しかったんだけどな。おばさんに泣かされる。でも今思えば続けるべきだったなと思う。最後は実家に帰ることになったって言って無理やりやめたけど、着物はまだ返していない。家にある。

2年 個人経営の居酒屋でバイトを始めるけど、給料が安くて嫌になる。バイト終わりに特別って言って焼肉連れて行ってもらったり、休憩でもないのにいろいろ食べさせてもらったり、マスターと奥さんにはかなり気に入られて、次期バイトリーダーだねって毎回言われてた。学校に行っても友達がいない。本当にたえちゃんくらいしか話す人がいなかったな。佐々木と何回かご飯に行った記憶もある。まきちゃんと志摩スペイン村に行ったりする。でも友達はいない。しーちゃんと授業受けてたな。この頃から部活に行かなくなる。英語がわからない。ゼミ選び、めちゃくちゃ迷って1ゼミに希望を出して落ちる。で、3ゼミ。ゼミ課題がわからな過ぎて病む。2ゼミにしてたら、、って考える。これは今でもよく考える。夏から実家に帰って、たまに居酒屋のバイトはいるけど仕事できなくてそのままフェードアウトする。グループだけは入ってました。

3年 一番記憶がない。実家に戻って、今のバイトを始める。毎日楽しくない気がする。授業もほとんどなかったけど、このころは何をしていたのか思い出せない。ずっと怠惰な生活を送っていたんだろうな。後期は終活を頑張って、一番何かに熱中していた時期だと思う。藤岡と話すようになって、佐々木とも仲が良くなって、やっと自分の居場所を見つけられたような気持になったんだよね、確か。

4年 就活。持ち前の口のうまさとプライドの高さで別に傷ついたり病むこともなく、受けたとこからはほとんど内定をもらって、たまに佐々木とラインとか飲んだりして、一番楽しかった。就職活動で東京に行くたびにワクワクしてた。彼氏とはずっと、別れ話をしようと思っていた。

居酒屋のグループを退会させられる。仕事ができたってどこのバイトでも評価されたけど、あれは本当になんでなんだろう。障害絶対あると思う自分でわかる。ただの怠惰なのか。いやそれもあるんだけどさ。着物とエプロンはまだ家にあって、どうしようもないから大学卒業したら燃やそうと思う。

 

4年間、私は本当に怠惰に過ごしてきて、何かこれといった成果も残すことはなく、ゆっくり死に向かっているような、そんな毎日だった。変わるかもって期待して留学に行ってみたけど結局何も変わることはなくて、それにがっかりしたのもあるけど、一番は何もできない自分のことが死んでしまいたいくらいに嫌いになってしまった。大学生活は嘘と見栄がすごすぎて、だれにも本音を言えなかったり、壁を作ったりして人間関係なんかどこにもなかった。部活はわからない自分が嫌で逃げて、優しい人がいるところに逃げようと思ったけど人間関係を築いてこなかった自分を受け止めてくれる人なんかどこにもいなかったことに気づく。たえちゃんとか七海が、なんであんなに友達がいるのかっていうと、彼女たちは素直で優しくてまじめで、人に対して真摯であるからだと思う。わたしはどこでどういうふうに間違えてこんな人間になってしまったんだろう、全部嫌になってしまった。特に最近は気分の沈み方がひどくて、死についてよく考えてしまう。ここまでになったのは初めてで、なんでかなって思ったけどこれは間違いなく自分に対する嫌悪感と、世間様に対する甘えだと思う。

どれだけの人に嘘をついて、どれだけの人に迷惑をかけて生きてきたのかわからないな。

できた人間になりたかったけど、もうきっとそれも無理で、東京に行ったら変われるかなって思ってるけど、どれも無理だね。一人暮らししてた時、完全に鬱っぽくなったことがあったけど、上京してもそんな感じなんだろう。だから次は本をたくさん読んで映画をたくさん観て、一人でも大丈夫なように暮らしていけたらと思う。あと、人には期待しないで、自己完結できる人間になる。で、早く終わらせたい、人生。

補足しておくと、わたしは自分が望んで大学に進学させてもらったし、就職の面でも、数は本当に少ないけど出会った人間の面でも、大学に進学して良かったと思ってるよ。進学を許してくれた両親にもすごく感謝してる。

延々歩く

図書館に閉館時間まで居座った。帰り、駅から家まで歩く。裏毛のスウェットにコーデュロイ上着を重ねているのに、繊維の間から冷気が入り込んでいるのか歯が鳴るほどに寒かった。ここは民家も街灯も少ないから、星がきれいに見える。プラネタリウムが好きで月に一度は通っていた時期もあったくせに、オリオン座以外満足に星座が分からない。

眉を脱色した。身体用の脱色クリームを綿棒で眉に乗せ、30分待ってティッシュでふき取る。その間に爪を塗った。透明と曇り空の間のような、薄く透き通ったブルーグレイ。つややかな爪を見て満足した。眉はまだらに脱色され、失敗した。

指が細いというと、そんなことないよ、君の方がほそいよ、とごく自然に手のひらを合わせる。わたしより一回り大きい骨ばってた手はひんやりと冷たかった。

指がきれいだと言われたことがうれしくて、良いハンドクリームを買った。いつも買っているものより3倍は高いが、その分保湿力も香りもよいので人気があるもの。

暇があれば水を飲んだ。日常的な水分補給のための飲み物として水を飲むようになったのは、水が一番身体に良く、肌がきれいになるとSNSで見かけたからだ。一日2リットル飲むと痩せるらしい。本当かは知らないが、こまめな水分補給が体に悪影響を及ぼすわけもないので意識的に飲んでいた。

作業をするとき、ネットでダウンロードした一周3分ほどの雨音を何度も繰り返して聴いている。集中力が高まるらしいが効果を感じることは特になく、ただ、他人のおしゃべりの中や、サイレントスペースで一切の雑音のない空間で手を動かすよりも、いくらかは安心感があり、落ち着いて作業できた。

来ないとわかっていながら、図書館の自動ドアの開閉の音を聞くたびに横目で見てしまう。もうある種の病気みたいだと思った。電車に乗っていても、大学を歩いていても、意味もなく君を探してしまう。異常だと思う。

三階まで続く階段が発光して見えた。橙の灯が点いていると思ったら、陽の光が踊り場いっぱいに差し込んでいるだけだった。図書館でクッキー食べたらバレて怒られた。夜に友達と電話した。着地点の見えない話は低空飛行でおもしろい。

だれにも頼らず一人で生きる友達。姿勢のよさに憧れている。自分の足で生きるということは一番大切だと思っている。ずっと。

かわいそうね

 

バイト先のパートのおばさんに「今の子たちは普通に生きているだけじゃ駄目だからかわいそうね」と言われた。わたしが就活で出会った人たちの経験に驚かされた、という話の感想として。

その言葉がずっと頭を巡っている。かわいそうってなんだろう。普通ってなんだろう。今の子って誰だろう。そう言われたとき、わたしは笑って受け流したけど別にわたしかわいそうではないよと思った。義務感で海外留学するわけではないし、期待と希望と不安のごちゃまぜハッピーセットは結果自分を高めるきっかけになるし、その考え方しかできないことが、わたしからしたらかわいそう、だ。就活してる時も、リクルートスーツパンプスひっつめ髪で面接に向かう中で向けられるかわいそうとか、大変ねとかいうまなざしや言葉、鬱陶しかったな。

安っぽい同情と、わたしは違うからセーフ、そっち側に行かなくてよかった、みたいな優越がすごく嫌いだし腹が立つ。

 

「意識高いね」って言葉をかけられると、馬鹿にされたような気がしてすごく嫌だった。だから、大学入学してからずっと勉強してないふりとか、好きなことに対して興味のないふりをしていた。「まじめだね」っていう言葉も嫌いで、まじめじゃないふりをしてみた。でもいつも罪悪感が胸にあった。

意識高いとか、まじめとかで振り分けられて周りに人がいなくなるのが怖かった。

 

大学3年の秋、就活を意識するようになりセミナーや講演会に行きだして、やっと、「真面目」で「意識高い」自分を受け入れられるようになっていった。田舎の大学だから秋に就活してる人はほとんどいなくて、その分知り合うとお互いを大切にしたし絶対にからかうようなことはしなかった。それが居心地よくて、誰にも話したことのない夢とか、将来の話、いろんな制度に対する疑問を夜が更けるまで話し合った。

就活が終わっても関係は続いている。今はアウトプットする場がなくなったから、話や使う言葉のレベルはあのころに比べたら随分下がってしまった。でも、あの時を一緒に過ごして助け合った戦友だから顔を合わせれば話に花が咲くし止まらない。

 

就活、誰かに認められるのがうれしくて、大人と対等に話ができるのが楽しくて、結構好きだった。人並みに選考は落ちたけど、気分が落ち込むことはそんなになくてあー、合わなかったんだなって思うだけ。先輩に仕事楽しそう? と聞かれて、楽しいかはわからないけど、やってみたかった分野だし、同期のレベルも高いし、楽しみにはしてますって言えた自分、誇らしかった。