揺らして

 日々、電車に乗っているときも、バイトで接客をしているときも、誰かとすれ違う時も、わたしは本当にきれいな顔に生まれたかったと思うが、それはもう叶わないと気づいているから、せめて身体だけはきれいであろうと、自分のきれいに基づいて肋骨の筋がきちんと目で確認できるほど、キャミソール姿になった時に砂時計のように線がひけるほど、見えない部分の肌の白さや、何気なしに投げ出した脚の線を、手に入れたいともがいている。それらすべてはわたしのためで、わたしが満足するように、さみしくなっても自分をきらいになれないように、他人から惨めに思われないように、とにかくたくさんの言い訳を、自信とは一番遠いところにおいている。

 どうしても惨めで泣いてしまう夜があるが、そんなことは誰にも言えず、世の中にいるもっとつらい誰かを考えてそんな何にもならない慰めで、大嫌いな朝を待つ。

 顔についての悩みを言うと、そんなことを考えなくても済む社会にしましょうと誰かが言うが、たくさんの人間が暮らしていく限りは無理で、ずっと考えてしまうと思う。評価するのは男、評価されるのは女、そんな簡単な話ではなくわたしも道行く誰かの顔面を見て羨望も嫉妬も嘲笑もする、他人の顔に執着しても自分が変わるわけではない、そんなことはわかっているけど。全員均一に作られたのっぺらぼうみたいになったら、もうこんな苦しい思いをしないで済むのかもしれない。

 今年を振り返って、まあ二進も三進もいかないこともあって、人生で初めてできた彼氏と別れて、別の人を好きになってうまくいかなくって今でも泣いて、これだけはと思って守っていたものをあっさりと捨てて、これから先に起こることにおびえて、自分の不出来さに絶望した、そんな年だった。誰かに認められることもあったけど、結局自分を愛すためには愛されたい人に愛されないとだめだということを学んで、snsに投稿をしなくなって、意味のない飲み会に行かなくなった。恋愛に振り回される人生が一番ダサいって彼氏と別れるときに思って、一人で地に足をつけて生きようとしたのにできなかった。夜はスマホを枕元において眠って、好きな人からのメッセージに一喜一憂した。

 年齢を重ねるほどに年が新しくなるのが嫌になっている。早く楽になりたい、それだけ考えて生きている。22になっても一人で自分の情緒をコントロールできなくって悲しい。中学生のころは早く大人になりたいと思っていたけど、大人になれば生きやすくなると期待していたけど、今のわたしは中学のころ思い描いていた大人とはかけ離れたところにいるし、何も変わらずずうっと苦しいし、うまく生きられない。それでも生きているのはこの先に期待しているからで、勇気も目的もなくて死ねないからで、本当に不謹慎な話、自分からではなく、運悪く事故に巻き込まれて、ぽっくりと死ねないものかと思っている。

 未来と芸術展で、友人や家族に看取ってもらえない人がAIに優しく声を掛けられつつ死んでゆく映像を見て、すごく良い未来だなと思った。わたしも誰にもそばにいなくていいから、AIに腕をさすられて、「お疲れさまでした、おやすみなさい」って言われて、それで人生を終わりにしたい。誰かの時間を奪うほどわたしの人生に魅力はないし、そもそも時間を削ってくれるような人間関係を構築できる自信もない。でも感情のないロボットが、仕事として看取ってくれるならさみしくもないし、安心して幕を下ろすことができるんじゃないかって思う。馬鹿みたいだと笑うかもしれないけど。