22歳

 

自分のことが好きではない。失敗したパーマみたいな地毛、腫れぼったい瞼に低い鼻、ゆがんだ唇、嫌いなところを挙げれば本当にキリがなくて、両親の醜いパーツを寄せ集めてつくった顔面。高校の時から3か月に一度縮毛矯正をあてて、大学に入って化粧を覚えて、頑張って隠してそれでも人よりも劣っている。化粧がうまくいったと鏡の前でにっこりした日、駅でかわいい子を見ると惨めになって家に帰りたくなる。ずっとずっとそうやって生きていく。

 

21年間ずっと真面目に生きてきた。両親は学校を休むのを許してくれない人だったから、どんなに辛くても小中高は毎日登校した。中学は片道6キロを毎日自転車こいで、高校は部活が厳しくて朝は6時に家を出て夜は10時に帰る生活を送った。中学の時はジャイアンみたいな男の子から暴力を受けていて、部活も委員会もうまくいかなくて、成績もどんどん下がっていくし一番死にたいと思っていた。いじめのことは絶対に先生は知っていたけど、絶対に助けてくれなかった。気の弱い痩せた男の先生で、猫背気味だったからくたびれた背広がよけいにくすんで見えた。面談の時にあなたはとても良く頑張っている、と評価をしてくれたけど、それが何の足しになるわけもなく、わたしの背中と右の手の甲には消えない爪痕やあざがいくつか残っている。

両親は今も何も知らない。何もかもが嫌になって泣いていた中学の時も、思春期特有のものだと思ってか、的外れなアドバイスを言ったり見て見ぬふりをしたりだった。もっとも彼らが何も知らないのはわたしが何も言わなかったからに決まっている。いじめられるような情けない娘だと知られたくなかったし、恥ずかしかったし、言っても無駄だと思って何も言えなかった。

家族。血がつながっているだけで結局は他人。だから家を出たい。

わたしが持っていないものを持つ彼らを見た時、心がずっと深い谷に落ちていく。そういう生き方があるのだと教えてくれなかった両親のことが憎くなる。9か年皆勤。卒業式で名前を呼ばれたあの一瞬だけ。たかがそれだけ。いったい何がそんなに偉いんだろう。学校が嫌で嫌で仕方がなくって、登下校の時知らない小学生に笑われて、泣いていた自分。世界でだれよりも惨めで情けない。休みたいと思ったときに休むことをしていないと、大人になってからも休めず苦しむことになる。現に父親は鬱病だ。どうして、そんなに。

 

22歳になった。海外研修から帰ってきた好きな人にお祝いしてもらった。誕生日が私よりひと月早い彼はやっと追いついたねと笑う。そんなこと言ってもらえる年ではないのだけれど、誕生日を覚えてくれたこと、向こうで私のことを思い出してくれたことが嬉しかったので私も一緒に笑った。

愛とか恋とか友情とか噂とか。確証のないものに振り回される毎日が最近は楽しくて、むなしい。