かわいそうね

 

バイト先のパートのおばさんに「今の子たちは普通に生きているだけじゃ駄目だからかわいそうね」と言われた。わたしが就活で出会った人たちの経験に驚かされた、という話の感想として。

その言葉がずっと頭を巡っている。かわいそうってなんだろう。普通ってなんだろう。今の子って誰だろう。そう言われたとき、わたしは笑って受け流したけど別にわたしかわいそうではないよと思った。義務感で海外留学するわけではないし、期待と希望と不安のごちゃまぜハッピーセットは結果自分を高めるきっかけになるし、その考え方しかできないことが、わたしからしたらかわいそう、だ。就活してる時も、リクルートスーツパンプスひっつめ髪で面接に向かう中で向けられるかわいそうとか、大変ねとかいうまなざしや言葉、鬱陶しかったな。

安っぽい同情と、わたしは違うからセーフ、そっち側に行かなくてよかった、みたいな優越がすごく嫌いだし腹が立つ。

 

「意識高いね」って言葉をかけられると、馬鹿にされたような気がしてすごく嫌だった。だから、大学入学してからずっと勉強してないふりとか、好きなことに対して興味のないふりをしていた。「まじめだね」っていう言葉も嫌いで、まじめじゃないふりをしてみた。でもいつも罪悪感が胸にあった。

意識高いとか、まじめとかで振り分けられて周りに人がいなくなるのが怖かった。

 

大学3年の秋、就活を意識するようになりセミナーや講演会に行きだして、やっと、「真面目」で「意識高い」自分を受け入れられるようになっていった。田舎の大学だから秋に就活してる人はほとんどいなくて、その分知り合うとお互いを大切にしたし絶対にからかうようなことはしなかった。それが居心地よくて、誰にも話したことのない夢とか、将来の話、いろんな制度に対する疑問を夜が更けるまで話し合った。

就活が終わっても関係は続いている。今はアウトプットする場がなくなったから、話や使う言葉のレベルはあのころに比べたら随分下がってしまった。でも、あの時を一緒に過ごして助け合った戦友だから顔を合わせれば話に花が咲くし止まらない。

 

就活、誰かに認められるのがうれしくて、大人と対等に話ができるのが楽しくて、結構好きだった。人並みに選考は落ちたけど、気分が落ち込むことはそんなになくてあー、合わなかったんだなって思うだけ。先輩に仕事楽しそう? と聞かれて、楽しいかはわからないけど、やってみたかった分野だし、同期のレベルも高いし、楽しみにはしてますって言えた自分、誇らしかった。